倒産企業の社長たちが話し合いの場を持った。
「我社を倒産に追い込んだ最大の原因は何であったか?」
という問いに対する衆議一決の答えは、「傲慢」のひと言だったという。
人材不足でもない、資金の行き詰まりでもない、売れる製品の欠如でもない。
経営者の驕りとその結果としての油断や心のの緩みだった…、
というのが倒産社長の告白である。
経営者やリーダーには、自信が必要である。
見るからに不安気で目に光の無い経営者に従っていこうという人はいない。
ところが、、、である。
自信はよほど気をつけないと過信に流れる。
過信は放っておくと慢心に姿を変える。
慢心の行き着く先は傲慢であり、傲慢は倒産を招く。
「必要は発明の母」というが、まさに「傲慢は倒産の母」ともいえる。
自信が実体を伴ったものであるためには、その前に実力と実績が必要である。
自分に経営力やリーダーシップなどの実力があり、
その実力を発揮して実績を出している。
だから本当の自信が持てるし、持つ資格がある、という順番が肝要である。
「実力、実績、自信」。
私はこれを、「リーダーの3ジ」と称している。
実力と実績を伴わない自信は、一皮むけば過信・慢心・傲慢にすぎないし、
この差のわからない経営者は、自らの手で自らの墓を掘ることになる。
「傲慢」の対極には、「謙虚」がある。
本物人間は謙虚さを失っていない人であるという、際立った特徴がある。
吉川英治氏の言葉に「我以外皆我が師」とあるが、
謙虚な人は「人から学ぶ」という気持ちを持ち続けている。
自分よりも年齢、学歴、社歴、立場、能力等の面で未熟な後輩からでも
何か参考になることがあれば素直に学ぼうという姿勢を失わない。
半面、傲慢人間はというと、
人の欠点やアラ探しをするばかりで、良いところを認めようとしない。
魔女狩りに明け暮れている。
謙虚さのもうひとつの特徴は、
「もしかしたら自分は間違っているにかもしれない」
と考えるだけの心のゆとりや幅があるということである。
「自分が絶対正しい」という自信は、一歩間違うと、過信や慢心に流れる。
その先には、倒産という穴がポッカリと口を空けて待っている。
最後には、「謙虚な人は学び続ける人である」という特徴を挙げたい。
「少にして学べば 壮にしてして為すこと有り。
壮にして学べば 老いて衰えず。
老にして学べば 死して朽ちず。」
江戸時代の儒学者 佐藤一斎の「言志四録」に出ている言葉である。
衰えは、学ぶことをやめたその日から始まる、というのが私の実感である。