●衰退する絹織物産業界で注目される取組み
齋栄織物(齋藤泰行代表)はJR福島駅から車で30分程の福島県伊達郡川俣町に立地し、売上高16,000万円、社員数15名(いずれも福島県ものづくり企業データベースを参照)の規模ながら、伝統的な和装の織物技術をベースに研究を重ね、世界一薄く軽いシルク「フェアリー・フェザー(妖精の羽)」を生み出した企業だ。
現在の川俣町では、安価な輸入品の台頭により絹織物産業は衰退し、かつては400社を数えた絹織物業者はおよそ1/10まで減少している。こうした市場環境の中で、齋栄織物は世界一薄く軽いシルク「フェアリー・フェザー(妖精の羽)」を考案して世界に注目された。
同社は2012年に第四回「ものづくり日本大賞」で内閣総理大臣賞を受賞し、同年に『グッドデザイン賞』も受賞している。
●リーマンショックで全ての取引先を失う
国内生産される生糸は昭和初期までは海外に輸出され、外貨の収入源になっていた。そのため生糸には高い値が付き、京都や丹後、福井などの大規模な絹織物の産地でないと入手が困難になった。規模が小さい川俣町にある企業群には生糸の仕入れ量には限りがあり、そこで考え出されたのが薄手の織物を作る技術だった。
齋栄織物は当初スカーフ用の生地を生産していたが、世の中がカジュアル化したことで、スカーフの売り上げは年々減少していった。この窮状を打破するため、同社は生糸を前もって色染めしてから織り上げ、タテ糸とヨコ糸の色を変えることで無数の色合いが生まれる先染織物の生産に着手した。
先染織物の生地は玉虫色の光沢を放つとともに、独特のハリ感を産み出すという特徴があることからウェディングドレスのデザイナー達が着目し、採用されるようになった。ドレスに先染織物が利用されたことで、齋栄織物はその売り上げを大きく伸ばし、さらに先染織物はタキシードやカクテルドレスなどにも用いられ、アメリカ市場にも販路を開拓。
2005年頃までには、同社の売り上げの半分を占めるほどに成長していた。ところが2008年のリーマンショックにより、アメリカのブライダル市場は韓国やインドなどの安価な生地に切り替えてしまい、齋栄織物も大部分の取引先を失ってしまう。
●重さ600gのウェディングドレスを実現したフェアリー・フェザー
その起死回生策として経営者の齋藤氏が取組んだのが、「世界一薄く軽い先染めシルク」の開発だった。世界一薄い絹織物をつくるには、世界一細い生糸が必要になる。
そんな折に医療用の繭糸(けんし)を手掛けるある県内のメーカーが、「三眠蚕(さんみんさん)と呼び、1日の睡眠数を4回から3回に減らして未成熟な蚕を産み出す技術」によって手術の縫合用として人間の髪の毛の約1/6の細さという世界一細い繭糸を開発したことを知り、これを入手する。
試行錯誤の結果、2011年9月に「世界一薄く軽い先染めシルク」を完成させ、今までにない透け方と薄さならではの質感から、生地を「フェアリー・フェザー(妖精の羽)」と命名した。
齋藤氏はフェアリー・フェザーを携え、ブライダルファッションデザイナーの桂由美氏の元に向かった。桂由美氏と斉藤氏は30年来の付き合いで、かつて「晴れ舞台なのに、ウェディングドレスが重くて花嫁さんが疲れてかわいそう」という言葉を記憶していたからだ。ちなみに従来のウェディングドレスは平均して10kgもの重さがあった。
フェアリー・フェザーを使った重さ600gのウェディングドレスは、12年2月に初めて社会に発表され、大きな反響を呼んだ。この手応えに後押しされて同年に欧州の展示会に出展し、そこで30社近いメーカーとの取引が成立。フェアリー・フェザーはもとより、齋栄織物のシルクはジョルジオ・アルマーニ、ルイヴィトン、シャネルといった世界的ブランドに採用され、その取引は今も継続している。
2012年9月に齋栄織物はコーポレートブランドとして「SAIEI SILK」を立ち上げ、自社ブランドのスカーフを商品化して新たにB2C市場に参入。2014年にはインターネットによる直接販売も開始した。
2013年2月に日本橋三越のストール売り場をすべて川俣シルクにして、予定量の3倍の売り上げを記録。さらにSAIEI SILKのスカーフは、ルミネの受付スタッフの制服として採用され、2015年11月からはポーラ化粧品のノベルティとしても起用された。
齋栄織物が製造するものの内、3分の1は工業製品で、医療用や印刷や、音響機器、パラシュートの生地など幅広く利用され、近年では空気清浄器などで使われるフィルターは同社の売り上げの3割~4割を占めている。