社長や管理者にひとこと・・・
人を疑ってみる必要はありませんが、しかし、今後、本当に、横領が増加してくるという危機感は持っていて欲しいと思います。
不正も横領も、「違和感」を抱くことが大切なのです。そして早期発見により、早く解決すべきなのです。
不正や横領はタバコや麻薬と同じだといわれていますので、早期発見・予防が大事です。
京セラの稲盛会長の書物にも、社内で犯罪者を作ってはならないと書いています。そのために、「不正をさせないダブルチェックシステム」の必要性や、「一対一の原則を徹底(その日のすべての動きをその日のうちに処理)」の大切さを述べています。
前回はカラオケ店でしたが、今回はコンビニでの売上金取り消しのレジの操作です。
この手の横領はすぐに見つかってしまいます。コンビニのオーナーは、近年、多くの外国人を採用していることもあり、かなりレジやお金の取り扱いには気を使っています。
しかし、目の前に現金があれば、「つい」手が出てしまうことがあります。
境遇を聞けば、かわいそうと同情してしまいがちですが、それではさらに犯罪者を作ってしまいます。
ばれて後で返済しなければならないことが分かっているならば、素直にお金を貸して欲しいということも出来たはずです。
しかし、このような場合は、お金を返せばいいのではありません。犯罪に手を染めたことになります。
お金を返せば許してもらえると思っていること自体、問題です。
レジでお金を払わずに通過して、あとで警備員に見つかり、「払えばいいんでしょ」と大声で言う人がいますが、代金を支払うのは当然のことであり、支払っても、窃盗の既遂に変わりはないことを知るべきです。
今回は母子家庭の母親です。
パートしているコンビニで売上金取消のレジ操作で横領しているのがばれたのか、店から呼び出されたにも関わらず、怖くなり携帯の電源も切り、じっとしていたそうです。
店主にどんな顔をして会えばいいか分からず、警察沙汰になったら子供をどうしていいのか分からず、ただ、じっとしているしかなかったといいます。
母子家庭で生活がかかっており、なんとか示談で賠償も保険を解約して返済するつもりでいるようです。
すでに後の祭りですが、そうであれば、たとえ、不正のトライアングルが発生しても、本当に子供のことを思うならば、行動を留まるべきだったのです。
そして店主に相談してみることも出来たはずです。もちろん相談しにくい人であれば無理ですし、相談すれば、首になるかもしれません。
いろいろな事情はあるとは思いますが、この母親は店長以外には相談相手はいなかったようです。
日頃、楽しく付き合っていても、なかなか、本当のことを相談できないものです。
かといって、弁護士などに相談すれば、それ以上にお金もかかり、本当に生活ができなくなるのです。
すべての場合に言えることですが、やったことをなげくより、すぐに明らかにした方が、間違いなく、傷は浅くすみます。
買掛金管理がずさんな会社は、支払いにおいて、お金を着服することは容易に出来てしまいます。
通常、毎月作成される試算表の買掛金残高と、仕入先別に管理している買掛金管理台帳の残高は一致しなければなりませんが、試算表を毎月作成していない会社や、作成していても、試算表の買掛金残高と管理台帳の残高が不一致の場合は、横領の危険があります。
税務調査で横領が見つかることも多いのです。自社の税務調査だけではありません。取引先の税務調査の半面調査で発覚することもあります。
半面調査で突然、仕入先の振込み情報の照会がきて、先方と当社の内容が異なっていることで横領が発覚することはよくあります。
ちなみに1,000万円を超えた横領になりますと、実刑判決になることもあるようです。
一度、犯せば、身に覚えがないことでも犯人扱いされてしまいます。
店舗の売上操作を行っていたことが発覚し、不正分の弁済をしたうえで懲戒解雇となり、一件落着かと思っていた人がいました。
その後、その会社から連絡が入り、退職前に管理していた店舗の売上の一部が入金されていないことが判明し、知らないかと聞かれ、本当に知らなかったのでその様に答えたにも関わらず、売上金が見つからなかったため、会社から弁済するよう言われたようです。
弁済しない場合は被害届を出すと言われているようです。
仮に着服でないにしても管理責任からも責任があるといわれています。
民事と刑事では、かなり心理的な影響が違ってきます。
単に、資金の返済等の話ですと民事で済み、身柄を拘束されることはありませんが、こと、刑事になりますと、取調べ等、身柄を拘束される為、さまざまなことが頭をよぎってきます。
家族のこと、会社のこと・・・
一度、過ちを犯した人が復活できる社会は望ましい社会です。しかし、人は、どうしても過去のことを気にしてしまうものです。
ですから、過去の出来事が、今後の人生に大きく影響していくことも多々あります。
だからこそ、一度、思いとどまってみることが必要なのです。