朝の散歩のとき、蝋梅(ロウバイ)の花に目が留まりました。一年でいちばん寒い時季ではありますが、今年初めて春の気配を感じた瞬間でした。
なかなか人と会えない今、あらためて手紙の力をお伝えしたいと思い、今回はわたしと、家族と、手紙の関わりについて書いてみます。
父との葛藤を乗り越えて
わたしは幼少の頃から父のことがたまらなく苦手でした。思春期になると次第に父を避け、ほとんど口を利かなくなりました。
初めて父と向き合おうと思ったのは35歳のときです。身を切られるようなつらい離婚を経験し、父との葛藤を乗り越えない限りわたしは幸せになれないと、そう本能的に察したのです。
しかし、父は向き合うことから巧妙に、執拗に逃げ続けました。わたしはそれこそ執念で、父の固く閉ざされた心の扉を少しずつこじ開け、戦時中のこと、祖父母のこと、親戚のこと、母との恋愛……色々な話を聞き出し、父という人物を成り立たせている歴史を知り、理解しようと努めました。
わたしの祖父には重い吃音がありました。父は自らの父(祖父)が目の前にいるにもかかわらず、何の話も手助けもできなかった無念と、戦時下、一家の試練のときに、仕方がなかったとはいえ祖父を責める側にまわった悔いを抱えていました。
わたしはもっと父に愛されたかった。さみしかったのです。でも、不器用にならざるを得なかった父の悲しみを知り、父もまた深く傷ついていたのだと気づき、こだわりを捨てられました。
そして、今から二年ほど前、ようやくずっとずっと聴きたかったひと言「愛している」の言葉を父から引き出すことができました。
わたしはそのときのことを今もすぐに思い出せます。心の一番奥深くの固い部分が「すっ~」と溶けていく感覚を味わいました。
15年かかりました。きっかけはいつも手紙でした。
強さとやさしさにつながる
不思議なもので、そのとき以来、父は変わりました。母も変わりました。父と母がお互いに愛情を示し合うようになりました。それまでは見たことのない光景です。
わたしは幼少の頃から「言いたいことが言えない」「咄嗟に声に出して伝えられない」もどかしさを抱えており、その反動で、手紙という書いて伝えるコミュニケーションに傾倒してきました。
声に出すことが苦手でも、書くことでだったら意外と素直に言葉が出てくるものです。書く過程で頭の中や胸の内を整理できます。伝えられたという自信は心を強くし、同じように伝えられないもどかしさに悩む人をおもんぱかるやさしさにもつながります。
一人でも多くの方に手紙の力を実感していただきたいと願っています。感謝を込めて。