「することを減らす=分母の縮小」がなぜ生産性向上の「分子の増大」に繋がるのか?
前回、「賢く働く」ということのカギが「することを減らす」にあるという話をした。これは単に労働時間を短くしましょうという話ではない。問題は、分母(インプット)と分子(アウトプット)の相互作用にある。
「することを減らす」という原則は、ようするに「優先順位づけ」であり、「選択と集中」であり、「重点化」である。それ自体はとくに目新しい論点ではない。しかし、優先事項の選択は成功のファクターの半分でしかない。することを減らしただけで満足しているだけでは、業績向上は期待できない。残りの半分は、選択した重点分野に「とことんこだわる」ということにある。
生産性という指標に置き換えれば、「することを減らす」は分母の縮小、「とことんこだわる」は分子の増大に主として関わっている。なぜ分母の縮小が分子の増大につながるのか。凡百の「働き方改革」の議論は、この生産性の中核にある分母と分子の相互作用を無視するか軽視してしまっている。
シンプルは、やはり強い
物事の起きる順序、すなわち「ストーリー」に目を向けることが大切だ。「とことんこだわる→(そのために)することを減らす」ではなく、「することを減らす→(だから)とことんこだわる(ことが可能になる)」のである。裏を返せば、まずすることを減らし仕事を重点化しなければ、なかなかこだわりを持てないのが人間の本性なのである。
その最大の理由は、ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンの有名な命題――情報の豊かさは注意の貧困をもたらす――にある。人間が対象に振り向けられる注意の総量には限界がある。どんなにITやAIが進歩しても、大本にある人間の脳の処理能力が一定であれば、対象が増えれば増えるほど、一つの対象に振り向けられる注意は小さくなる。だから、まず「することを減らす」が大切になる。「することを減らす」が先に来ないと話が始まらない。
さらに、活動の範囲を広げてしまうと、「複雑さの罠」に陥ってしまう。希少資源である注意が分散してしまうのに加えて、複数の活動間の調整が必要になる。これに余計な優位を注がなければならなくなる。しかも、このコストは直接成果に結びつかない「脳内間接費」だ。分母が大きくなるだけでなく、分子にも悪影響を与えるため、生産性が低下する。
南極点を目指したスコットとアムンセンにみる「生産性向上のストーリー」
スコットとアムンセンの比較で見てみよう。1911年、当時は人類にとって未踏の地だった南極点を目指して、イギリスのスコット隊とノルウェーのアムンセン隊が熾烈な先陣争いを繰り広げていた。勝者はアムンセンだった。疲労と栄養不足に苦しみながらなんとか南極点にたどり着いたスコット隊がそこに見たものは、風にたなびくノルウェー国旗だった。失意の一行はベースキャンプに戻ろうとしたが、食料は底をつき、吹雪に見舞われ、テントに釘付けになる。スコット隊はそこで全滅してしまう。
なぜ成功したのがアムンセンだったのか。これまでも多くの理由が論じられてきた。ペース配分と自己管理が優れていた。事前の計画がしっかりしていた。単に運が良かった――。
こうした説明には重要な見落としがある。それは動員できた資源の規模だ。スコット隊の隊員数が65人であるのに対してアムンセン対は19人、遠征の予算も4万ポンド対2万ポンドと倍の開きがあった。
2倍の予算を使うことができたスコットは、犬、雪上車、シベリア産のポニー、スキー、人力そりという5種類の輸送手段を駆使した。どれかが失敗してもバックアップがあった。
これに対して、アムンセンは犬に集中した。犬のみに集中した結果として、アムンセンは徹底的に犬ぞりの使い方に磨きをかけることができた。犬に絞って他の選択肢を捨てたからこそ、優秀な犬を集めることにこだわりを持てた。極地の移動にはシベリアン・ハスキーよりもグリーンランド・ドッグの方が向いていることを突き止めた。
犬ぞりの優秀なドライバーを集めることにもこだわった。超一流のドライバーに断られても、アムンセンは他の候補に流れず、しつこく口説く。アムンセンのあまりのしつこさに、彼は根負けし、最後には隊に参加することに同意した。「することを減らした」からこそ「ことんこだわる」ことができたのである。
これに対してスコットは、5つの輸送手段の準備に追われ、それぞれについての詰めが甘くなった。しかも、5つの手段はそれぞれにスピードが異なる。移動するたびにスケジュールの調整に四苦八苦する破目になった。ようするに、することが多すぎたのである。