空疎なかけ声で終わる「似非リーダー」になるな
ベンジャミン・フランクリンの話を続ける。
耳障りがいいばかりでその実空疎なかけ声に終始する似非リーダーが少なくない。目的の実現にコミットするのがリーダーの仕事だ。そのためには言うだけでなく実行しなければならない。しかも、一人でできることは限られている。自らの構想に多くの人を巻き込んで、目的に実現に向けて動かしていかなければならない。そのためには合理的でなければならない。あっさり言えば、みんなにとって得になることをやるということだ。合理的でないと、立場や利害を超えて人々が乗ってこない。実行するためには構想や指示や行動が現実的かつ具体的でなければならない。フランクリンはどんな仕事をするときも常に実利的で具体的だった。
何もないところから身を立て、苦労を重ねながら実業家として成功したフランクリン。彼の信念は「信用第一」。信用を獲得するためには、勤勉で誠実で正直でなければならない。フランクリンは生涯にわたってこの価値観を貫いた。
彼の勤勉で誠実な生き方は観念的な倫理や道徳によるものではなかった。それが結局のところ自分の利益になるからだ。どんな仕事でも勤勉に働く姿を見て、周囲の人々はフランクリンを信用するようになった。「私はなにも、自分の勤勉さを自慢したいわけではない。これを読んだ自分の子孫に、勤勉さがどれだけの利益をもたらすか知ってもらいたいだけだ」――フランクリンの思考と行動は徹底してプラグマティズム(実利主義)に基づいていた。
プラグマティズム(実利主義)の真骨頂を見る「13の徳目」
彼が23歳のころに打ち立てた有名な「13の徳目」に、プラグマティストの真骨頂を見ることができる。「道徳的に完璧な人間」になることを決意したフランクリンは13の徳目を自らに課した。「いい人間であれ」と漠然と思っているだけでは、いつまでたっても実現できない。13の徳目は宗教的な戒律ではなく、あくまでも実践のための計画だった。
「節制」「規律」「倹約」「勤勉」……、一見してありふれた言葉が並んでいる。興味深いのは徳目の中身よりも、彼がそれらを選び制定した過程だ。フランクリンにとって、「13の徳目」は漠然とした目標や精神的なかけ声ではなく、あくまでも現実生活の中で道徳性を身に着けるための計画だった。計画は実行しなければ意味がない。日常生活の中で実行しやすくするために、徳目の数を多くして、その分各項目の意味を狭い範囲に限定し、シンプルな戒律としている。
徳目は困難であると同時に、現実的なものでなければ意味がない。たとえば、7番目の徳目「誠実」には「嘘をついて人を傷つけないこと」という戒律が添えられている。「嘘をつかないこと」ではないのがポイントだ。利害にまみれた日常の中で、仕方なく嘘をつくこともある。それよりも、人を傷つけるという損失をなくす方が大切だというのがフランクリンの考え方だった。
努力に必要な「順番」とは?
さらに面白いのは、13の徳目を修得するために彼が採用した方法だ。一度に全部やろうとすると注意が分散して、どれも実行できない。まずはひとつの徳目に集中し、それを習慣化できてから次の徳目に移るという方法で、ひとつずつ順番に取り組んでいる。
その順番もよくよく考えられている。第1の徳目を「節制」にしたのは、それがすべての徳目の実践にとって基盤になるからだ。節制を身に着ければ後の徳目の修得がより楽になる。道徳的な生活の中で知識も得たいと思っていたフランクリンは第2と第3に「沈黙」と「規律」を持ってくる。これで仕事の計画や勉強にあてる時間が増える。第4の「決断」を習慣にできれば、その後は確固たる意志をもって徳目を修得できる。第5の「倹約」と第6の「勤勉」を守れば、早く借金から解放される(借り入れた事業資金の返済は当時のフランクリンにとって重要なテーマだった)。衣食足りて礼節を知る。財務的に自立できれば「誠実」(第7)と「正義」(第8)も実行しやすくなるだろう――明快な論理でつながったストーリーになっている。
フランクリンは「道徳的に完璧な人間になるという当初の目的は達成できなかった」と自伝の中で告白している。自分が性格的に規律を守れないことは分かっていた。それでも「懸命に努力したおかげで、人として多少は成長したし、多少の幸せをつかむこともできた」――フランクリン一流の現実主義と実利主義が色濃く出ているエピソードだ。