【意味】
才知活発な人には、誠実慎重の人物を補佐役に当てる。
【解説】
「宋名臣言行録」からです。
才知活発な人ほど前に進みたがります。進むことばかりで留まることや退くことを知らなければ、いつかは倒れてしまいます。このような人物に忠直の人が補佐役として就けば、慎重さが増して安全運航が可能になります。
敏腕のやり手社長は、二派に分類されます。
まず一つは、自分の経営才能に自分で惚れ込んで留まること知らない社長です。こういう人は「万能感に溺れる者の末哀れ」といって、一時は大成功をする場合もありますが、ガードの弱さが致命的になり末路は悲惨です。
もう一つは「能ある鷹は、爪を隠す」という俗諺がありますが、進むべき時と留まる時を弁えたバランスの良い真の敏腕社長です。このレベルの社長となりますと、必ず隠れた部分の日常生活の中に、何かしらの修行要素が組み込んでいます。日々の修行生活は緊張感を生み自制心を育てますから、ブレーキ役の補佐役がいなくてもバランスの良い経営が可能となります。
掲句の教えに戻って、活発な社長に慎重派の補佐役を付ければ、万事治まるかといいますと、そう単純ではありません。
実は人間は、家族間・男女間・少壮老(ショウソウロウ)の年齢間・上司部下間で、互いの欠落部分を補い合って社会生活を営みます。そしてこの欠落部分を補ってくれる周りの人々を無意識に評価して、自分にとって有益か無益かの判断をします。
この際「自分基準」で評価するか、「相手基準」で評価するかにより、周りの人々に対する感情が不満の心と感謝の心に分かれてきます。
具体例で説明すれば、社長の補佐役を評価する際に、社長の立場(自分基準)で評価すれば、補佐役の慎重さはマイナス評価となります。このようになると不満の心が生じ、補佐役は邪魔者になりかねません。逆に補佐役の立場(相手基準)で評価すれば、補佐役の慎重さはプラス評価となりますから、感謝の心が生じ助言も受け入れやすいことになります。
究極は『仁眼長所(ジンガンチョウショ)』の基準を何処に置くかとなりますので、再び『日常生活の四源句』を取り上げますが、社長と補佐役との関係を照らし合わせてみてください。
「自懐天懐」・・自分の懐を天の懐に合わせ、相手基準での余裕が生じれば、
「仁眼長所」・・思いやりの眼や耳で補佐役の言動に、積極的に対応できる。
「感謝満足」・・補佐役の助言に感謝し、名補佐役を得た満足感が生じれば、
「報恩活力」・・自然に報恩感情が生じ、社会恩返しの貢献活力が生まれる。