日本人は古来よりキツネを神聖な存在としてうやまって来た。
キツネは私たちの主食であるコメなどの大切な穀物を食い荒らすネズミを捕食し、
色や尻尾の形が実った稲穂に似ているからだと考えられる。
キツネは全国津々浦々にある稲荷神社の神の使いだ。
通称お稲荷さまと呼ばれる稲荷神は、
穀物・食物の神である宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ)の別名である。
「稲生り」「稲成り」が変じて稲荷という言葉になったとも言われている。
また、稲荷とは油揚げを意味し、いなり寿司、いなりうどん、おでんなど
稲荷を使った料理は日本人の食生活に広く浸透している。
稲荷神社の神霊がキツネに似ていることから、俗にキツネの大好物であるとされる油揚げが
お稲荷さまにお供えされるようになったのだ。
稲荷神は、五穀豊穣、商売繁盛、心願成就の神として、あがめ奉られて来た。
明治維新、戦後の欧米化によって、
地域に根付いた日本の伝統文化の中には忘れ去られていたものも多かったが、
近年のパワースポットの人気や外国人観光客からの新たな視点によって気づかされ、
神社・仏閣や昔から伝わる文化・伝統・風習への回帰が起こっている。
そんな中、キツネとお稲荷さまが各地で人気を呼び、
地方創生・インバウンド観光誘致の目玉になって来つつある。
キツネとお稲荷さまによって、経済的に地域を潤し、
住民に誇りと夢を与えるまちおこしの成功事例が続々と生まれている。
まさに、農業や商売の神様であるお稲荷さまの面目躍如だ。
日本人たるもの、クリスマス、バレンタイン、ハロウィンなどといった
南蛮渡来の表層的な祭りばかりをありがたがっている場合ではない。
一年でもっとも運気が高まる日であるお稲荷さまの誕生日の「初午」(はつうま)を祝わずして、
ご利益抜群の神社・仏閣に参らずして、美味しいいなり寿司を食さずして、
せっかくこんなに豊かな日本に生かしていただいている甲斐がない。
今こそ、お稲荷さま、キツネについて知り、
稲荷神社にお参りすることで運気をアップし、心願成就を果たそうではないか!
そして、地方創生・インバウンド観光誘致を図り、地域をイキイキ化しよう!
●駅からクルマで20分の山あいの地に外国人客が殺到!そのお目当ては?
東北新幹線の白石蔵王駅からタクシーで約20分もかかる、
蔵王連峰のふもとにある宮城県白石市の山あいの地に、
はるばる数多くの外国人観光客が訪れている。
彼らのお目当ては、なんと、キツネだ。
その行き先は100頭以上ものキツネが林の中で放し飼いにされている
「宮城蔵王キツネ村」である。
数年前まで知る人ぞ知る山の中の素朴な施設だったのが、
ある日本人男性が冬のキツネ村の様子を撮影して動画投稿サイトで公開したことから、
来場者が急増し始め、徐々に外国人客も増え出した。
その後、カナダ人女性が動画を投稿したことがきっかけとなって状況が一変。
海外に広くその存在が知れわたることとなり、近年、外国人客が倍々で増加中だ。
今や「日本と言えばキツネ村」「日本に行くなら絶対に行くべき!」と言う外国人ファンが
後を絶たないほど人気を呼んでいる。
動物園のオリの外から眺めるのとは違って、
キタキツネやギンギツネ、プラチナギツネなど6種類のキツネたちが、
園内で思い思いに自然にねそべったり、走り回ったりしている自然の姿を
間近に見られることが最大の魅力だ。
特に冬になると毛がはえ変わり、夏の印象と変わって、ふさふさの毛で真ん丸になる。
この雪の中を駆け回るモフモフのキツネたちのかわいさに世界がメロメロになっているのだ。
以前は寒い冬の間は訪れる人が少なく休む日もあったのが、
外国人観光客のおかげで、近年は季節を問わず開園するようになった。
●twitterで大反響を呼んだ、雪景色の中、ほこらの前にたたずむキツネ
2016年1月16日、キツネなどのお面も制作するアートディレクターの
「戌一 2/20 マスクフェス @inu1dog1」さんが、「宮城蔵王キツネ村」を訪れて撮った写真を、
twitterに「稲荷社から生狐。夢のような光景。」というツイートとともに投稿したところ、
1万件を超えるリツイートと「いいね」がされるほど大きな話題を呼んだ。
一面、雪景色の中、キツネが朱色のほこらの前でこちらを見据えて凛々しくたたずむ様子は、
まるでお狐様が姿を現したかのような神秘的な雰囲気を醸し出している。
それが、また、BIGLOBEニュースなどでも紹介され、より多くの人たちに知られることとなった。
写真を見た人たちからは、
「神々しい」「夢のような光景ですね」「神がかった光景に心ひかれました」
といったコメントがあふれた。
このほこらは、キツネ村の敷地の中に設けられた御金(おこん)稲荷神社で、
キツネを、コンコンさん、おコン様と呼ぶことから名付けられた。
稲荷神社のシンボルはキツネで、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるとされ、
古来からあがめられて来たが、まさにキツネが国内外から耳目を集め、
山あいの集落を、年中、千客万来の地に変えたのである。
●"一年でもっとも運気が高まる日"「初午」(はつうま) が大ブレイク必至
その農業や商売の神様であるお稲荷さまにまつわる風習やお祭りが全国各地で復活したり、
現代風に形を変えて話題を呼び、実際に地域の商売繁盛に貢献している。
近年、恵方巻の流行に続いて、復活大ブレイク必至となりつつあるのが、
その年の最初の午(うま)の日を祝う「初午」(はつうま)だ。
現在の3月初旬に当たる旧暦の初午の時期になると、長い冬が明け、太陽の恵みが感じられた。
農家では、この日に豊作祈願をして農作業を始め、子どもたちは寺子屋に入門した。
江戸時代には全国各地に定着していた風習で、
昭和30年代くらいまでは、家族連れで稲荷神社に参拝し、
いなり寿司を食べたり、子どもたちはお菓子をもらって食べたりした。
初午には、大きな稲荷神社では祭礼が行われ、
染幟を立て、武者絵の大行灯や地口画を描いた灯籠を飾った。
武家屋敷では近隣の町家の人たちを招いて食べものや飲みものを出したり、
神社のみならず町の家々でも団子や菓子、甘酒、お汁粉などを振舞った。
初午は、子どもたちにとっては、元旦のお年玉に続いて、何かをもらえる楽しい日だった。
近年、日本でも定着したハロウィンは古代ケルト族に由来するお祭りで、
「トリック・オア・トリート」(Trick or treat=お菓子をくれないとイタズラするよ)と言いながら、
子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を1軒ずつ訪ねてお菓子をもらう風習だが、
初午とは、言わば、元祖・日本のハロウィンである。
午の方位は南で時間では正午を差す。
初午は太陽のパワーが集まる日であり、"一年でもっとも運気が高まる日"と信じられて来た。
●初午と全国各地にある稲荷神社の起源とは?
初午の起源は、奈良時代の711年に、宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ)が、
京都山城国の稲荷山(伊奈利山)に降り立った日にちなむ。
その稲荷山に鎮座しているのが、昨今、千本鳥居が外国人観光客にも大人気の、
稲荷信仰の総本山、伏見稲荷大社だ。
ウカノミタマとは、『古事記』『日本書紀』の神話に登場する穀物・食物の神だ。
ウカは穀物・食物の意味で、ミタマは神秘的な生命力を意味する。
稲荷の語源は「稲生り」「稲成り」から来ているとも言われ、
元来は農業の神だが、あらゆる商業・産業の神として信仰されている。
初午は、稲作を始める前に行う五穀豊穣、商売繁盛、心願成就を祈るお祭りとして、
古来より全国各地で祝われて来た。
また、神道の稲荷神社のみならず、歴史上、
白狐に乗る天女の姿で表され「吒枳尼天」(だきにてん)が
稲荷神と習合して仏教の寺でも数多く奉じられている。
江戸時代には最も盛んな信仰となり、
武家屋敷・大きな商家の裏庭や長屋の入口には
守り神として必ずといってよいほど稲荷祠が設けられた。
江戸の町の至る所で見かけられるものとして、
「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われるほど、
お稲荷さまは江戸をはじめ全国いたるところにあった。
現在も、宇迦御霊神を主祭神とする稲荷神社は全国に2970余社を数え、
境内社・合祀社も加えると約3万2千社もある。
また、屋敷神として個人や企業、家屋やビルなどに祀られているものや、
山野や路地の小祠まで入れるとさらに膨大な数に上る。
●稲荷神社とキツネの関係といなり寿司の由来
キツネは奈良時代から日本人に神聖視されて来た。
稲荷神はもともと農業神だが、キツネはコメなど大切な穀物を食い荒らすネズミを捕食し、
色や尻尾の形が実った稲穂に似ているからだと考えられる。
稲荷神社の前には、狛犬の代わりに宝玉をくわえたキツネの像が置かれることが多い。
稲荷神社、お稲荷さまと言えばキツネが付き物で同一視されているが、
本当はキツネに似ていても異なる、目に見えない稲荷神の使いだ。
神道において、神に代わって神の意志を伝える、動物の姿を持った想像上の霊獣である、
いわゆる、眷属(けんぞく)の一柱である。
今日、稲荷神社に祀られているキツネの多くは白狐(びゃっこ)になぞらえられている。
稲荷神社の神霊がキツネに似ていることから、
俗にキツネの大好物であるとされる油揚げがお稲荷さまにお供えされるようになった。
そのため、初午には、全国の稲荷神社には、他の祭神と異なり、
神酒・赤飯の他に油揚げやいなり寿司が奉納される。
ここから油揚げを使った料理を稲荷と呼ぶようになったのだ。
五穀豊穣を願って油揚げにお寿司を詰めて米俵に見立ててお供えしたのが、
いなり寿司の発祥だと考えられている。
お稲荷さまは商売と豊作の神様なので、その誕生日である初午の日に、
米俵の形をしたいなり寿司を願い事の数だけ食べれば、運気がアップし、
大願成就まちがいなしと信じられて来た。
昨今、パワースポット人気で神社巡りをする人が増えたり、
日本古来の風習を見直す動きもなども追い風となり、
初午に稲荷神社を参拝する老若男女が急増している。
また、稲荷神社の門前町はもとより、コンビニエンスストアやスーパーや和食レストランでも、
初午にいなり寿司を食べたり、初午団子や子ども向けのお菓子を製造・販売する企業や店舗が
続々と出て来ている。
●広重の浮世絵にも描かれた東京・王子に伝わる「狐の行列」が復活し大人気に!
長年眠っていたキツネが目を覚まし、各地で地方創生のコンテンツとしてよみがえり、
地域の人たちに誇りと一体感を生み出している。
東京都北区の王子は、江戸時代には数多くのキツネが棲んでおり、
「きつねの嫁入り」や落語の「王子の狐」などキツネに関する逸話が多いところだ。
東国三十三国稲荷総司、つまり、東国の稲荷の総元締めと言われた
王子稲荷神社と装束稲荷神社が現在も鎮座している。
寛永十八年(1641年)、徳川家光の命により作られた
『若一王子縁起』(にゃくいちおうじえんぎ)という王子神社の縁起絵巻にも、
「毎年十二月晦日の夜、関東三十三ケ国の狐、稲荷の社へ火を燈し来る図なり、
この松は同夜狐集まりて装束すと言伝ふ」と記されている。
歌川広重の浮世絵にも描かれているように、王子には古くから大晦日に各地から集まったキツネが
大きな木の下(現在の装束稲荷神社の地)で装束を整えて王子稲荷神社に詣でたと伝わる。
1993年の大晦日、そんな昔の言い伝えを今に残そうとこの地をお護りする地元の人たちが集い、
伝承にならって王子稲荷神社に初詣をした。
最初はささやかな行列だったが、それがきっかけとなり、
メイクをほどこしたり、お面をかぶってキツネに扮した人たちが、除夜の鐘を合図に、元旦午前零時、
年を追うごとに盛大になり、近年は遠方からの観光客や外国人も数多く見物に訪れる一大イベントに
成長して来ている。
古い地域文化を大切にし、新しい街づくりに活かそうという活動の実績が認められ、
1999年には地域づくり団体自治大臣表彰を受賞した。
きっと、稲荷神社の目に見えないキツネのお使いも地域のご先祖様たちも微笑みながら、
いっしょに歩んでいるに違いない。
●豊川稲荷を核とする「豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」のシティセールス
日本が本格的な人口減少社会に突入し、全国各地の自治体が地域間競争の戦国時代で競い合う中、
お稲荷さまとキツネを活かしたシティセールス活動で、最も活発に活動を繰り広げているのが、
愛知県の豊川市だ。
その中心となって活動をリードしているのが、
まちおこしボランティア団体「豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」(笠原盛泰隊長)。
また、活動のシンボルキャラクターが、豊川市の宣伝部長でもある「いなりん」だ。
「いなりん」はキツネと豊川いなり寿司の合体で、前から見るとキツネだが、
後ろを見ると豊川いなり寿司のお米がたくさん詰まっている。
豊川市と言えば、日本三大稲荷の一つにも数えられる豊川稲荷によって全国にその名がとどろく。
豊川稲荷は、600年前の室町時代に開創され、
今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、大岡越前守忠相といった英傑や、
渡辺崋山などの文人に信奉され、庶民からは商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として
篤い信仰を集めてきた、全国屈指のパワースポットの一つである。
実は、この豊川稲荷の名は通称で、神道の神社ではなく、
正式には豐川閣妙嚴寺という曹洞宗の仏教寺院だ。
日本に伝わってからお稲荷さまと習合された、
仏教の豊川荼枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)が境内に鎮守として祀られているため、
豊川稲荷と呼ばれるようになった。
豊川稲荷の門前町では古くからいなり寿司が販売されており、
江戸や名古屋と並んで、豊川は発祥の地の一つとされている。
そこで、いなり寿司で地域活性化を図ろうと、
2003年に豊川商工会議所による豊川鮓商組合いなり部により、いなり寿司販売が行われた。
そして、2007年、山脇実市長が就任した際に
「いなり寿司の地域ブランド化」がマニフェストに記載されたことにより大きく動き出す。
これを受けて、2009年に、市・商工会議所・観光協会・JAひまわり・事業者・市民によって、
ボランティア団体「豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」が結成された。
豊川市と言えば豊川いなり寿司、豊川に行けば豊川いなり寿司と言われるような
「地域のブランド」として認知され、
住んでいる人にも訪れる人にも楽しめるまちづくりを推進していくことを活動の目的としている。
その後、2013年からNPO法人となり、さらに活動をパワーアップしている。
豊川市が市政70周年を迎えた節目の年でもあった同年、もりあげ隊は
豊川の名を全国に知らしめる快挙を成し遂げる。
愛Bリーグ(ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会)に加盟し、
「ご当地グルメでまちおこしの祭典!B-1グランプリ」の誘致に成功。
11月9日~10日の2日間に、人口18万人豊川市に、全国各地から58万1千人もの人たちを集客したのだ。
豊川商工会議所、豊川観光協会、ひまわり農協、豊川信用金庫をはじめ、
地元事業者、市民を挙げてのこのイベントには、全国から60を超えるまちおこし団体が出展し、
豊川駅前は豊川稲荷の初詣に勝るとも劣らない人出でにぎわった。
また、毎月17日を「いいな、豊川いなり寿司の日」に制定して情報発信に努めたり、
毎年、「豊川いなり寿司フェスタ」を開催している。
また、「地産地消創作豊川いなり寿司コンテスト」といった啓発事業、
「豊川いなり寿司マイスター制度」(豊川いなり寿司塾)などの認定事業など幅広い活動を行っており、
もりあげ隊による年間経済波及効果は約40億円と試算されるほどだ。
現在、豊川市内には数多くのいなり寿司店があり、
寿司の上に愛知県名物のみそカツや鰻を載せたものなど創作いなり寿司、おきつねバーガー、
稲荷寿司でシューというシュークリームも登場するなど、それぞれ独自に逸名を競っている。
●もりあげ隊といなりんが東京デビューを果たし首都圏でも活動を活発化!
なんと、もりあげ隊といなりんは、東京デビューを果たし、
首都圏でも活動を活発化させている。
豊川稲荷と言えば、大岡越前ゆかりの東京都港区元赤坂の豊川稲荷東京別院が、
ジャーニーズ事務所のアイドルをはじめ数多くの芸能人も信奉していることで有名だ。
そこで、豊川商工会議所会頭も務める豊川市観光協会の日比嘉男会長らとともに、
首都圏プロモーションの一環で同別院を訪問。
その際に、阪野茂秀院代に協力をお願いし、いなりんの絵馬の販売がスタートしたのだ。
1枚500円で、諸願成就のための五角形と合格祈願のための正五角形の2種類がある。
境内にある狐塚に新たに設置された絵馬を掛ける場所に奉納できる。
日本人たるもの、クリスマス、バレンタイン、ハロウィンなどといった
南蛮渡来の表層的な祭りをありがたがるより、
ご利益がコンコンと湧き出る稲荷神社のお祭りこそ大切にし、もっともっと楽しむべきだ。
お稲荷さま、キツネで、地方創生・インバウンド観光誘致を図り、地域をイキイキ化しよう!