世の中には、
「話し方がマズくても、中味さえあればいい。服装や態度や話しっぷりなどは、仕事の場では関係ない」
と言う人がいるが、それは独断的誤解である。
教えてもらった面白い調査結果を紹介しよう。
自分が相手にモノを伝えた(発表した)あと、聴衆が受ける感銘度・印象度に関するものだ。
何を話したかという<話の内容>の持つ重要度は、7パーセントと、驚くほど少ない。
では、圧倒的に印象に残っているのは何だろうか。
なんと、ネクタイの色や顔の形・ジェスチャーなど、広い意味での<ボディ・ランゲージ>だ。
これが半分以上の55パーセント。
残りの38パーセントは、その人の話し方や、イントネーション、口調、ナマリなどを含めた
Verbal(音声言語的)な部分であった。
端的な例だが、ビジネスの場で、プレゼンの重要性がいかに高いかが、理解いただけると思う。
人と話す時に、「何を伝えるか」は重要なポイントだが、コミュニケーションを的確にするためには、
「相手にどういう印象を持ってもらいたいか」の工夫や演出も、必要になってくる、ということだ。
特に外資系企業の場合、日本企業に比べるとはるかにプレゼンの意味は重い。
受ける側に、外国本社の重役クラスがいる場合、良かれ悪しかれ、ひとつの発表が持つ影響力が
拡大されるのである。
日本の経営者なら、たまたま行われた発表のでき栄えを、その他も併せた全体評価のひとつとして
位置づけて評価することもできる。
しかし、外資系の場合は事情が違う。年に数回しか日本に足を運ばない外人トップにとっては、
直接社員に会うのは、プレゼンの場のみということが多い。そのため、
社員に対する評価も、たまたま一、二度聞いたプレゼンのでき栄えによってなされる場合があるのだ。
現に私は、社長に対する発表の場で、中味はそこそこだったのに、ラフな服装でプレゼンを行ったために、
そのときの悪印象が発端になってついにはクビになった某社の社員の例を知っている。
話しの組み立てや理論構成は間違っていないか、ポイントは明確か、配布資料やパワポに誤りはないか、
などのチェックに加えて、姿勢は正しく、声は適当に大きく、口調ははっきりして
視線は相手の目を捉えて(アメリカ人なら、目をそらせる人を信用しない)いるかなど、
プレゼンの機会があるごとに、先輩の助言を受けながら、一歩一歩勉強することである。
必ず効果は出てくる。
私は落語が好きで、時々寄席にも行くが、同じ咄でも、咄家によって間や深みや面白さが
月とスッポンほども違い、これでも同じ落語かと思うほど様変わりしていることがある。
話しの内容は同じでも、「その他」の要素によって全体の印象が変わるよい例である。
また最近「話し方教室」ブームが静かに再燃してしていると聞くが、これも、プレゼンが大事という
認識が強まってきた影響の一端なのだと思う。
さらに職場では、「ジェネレーション・ギャップ」も大きい。
「10才自分と歳が違ったら外国人と思え」という言い方があるくらいだ。
日本の伝統である<以心伝心><言外の意>などにだけ頼っていると、同じ日本人同士の間ですら
モノゴトが通じなくなる傾向は、今後も強まるだろう。
日本人がとかく苦手とするプレゼンの持つ重要性を、この際再認識して、自分の再教育のために
必要なアクションをとってはいかがであろう。