ナポレオンとか織田信長とかの場合は、リーダーとしての偉さがよくわかる。ところが、エリザベス一世とか、明治天皇とかの場合、つまり世襲の君主で、偉大な時代を開いた人物の場合は、リーダーとしての偉さを具体的に指摘することが甚だ難しい。
こういう場合の偉さを示す言葉としては、漢の高祖劉邦の偉さを説明した韓信の言葉が一番説得力があるように思われる。それは「将ニ将タル」人物ということである。この話を『史記』によって簡単に紹介すれば次のようになる。
漢の高祖とその部下で武功第一の将軍である韓信がいろいろな武将の能力について語り合ったことがあった。その時、高祖が韓信に向って、『私はどのぐらいの軍勢の将としてふさわしいだろうか」とたずねた。すると韓信は
「陛下は十万人ぐらいの軍勢の将としてふさわしいと思います」
と答えた。すると高祖は韓信に向って「お前はどのぐらいの軍勢の将としてふさわしいか」と聞いた。すると韓信は、いけしゃぁしゃぁとこう答えた。
「私の場合は、軍勢は多ければ多いほどよく使いこなせます」と。
すると高祖は、むっとして問い返した。
「それはおかしいではないか。それならなぜお前は私の捕虜になり、そして今、私の家来として働いているのか」
その時の韓信の答えがすばらしい。
「陛下は兵士たちの将には向いておられません。陛下は将たちの将に向いている方であります。これはいわゆる天授というものであって人間の努力でどうとなるわけのものではありません。」
これこそ千古の名返答である。漢の高祖は智謀においては張良に及ばず、ロジスティックスにおいては蕭何(しょうか)に及ばず、実戦においては韓信に及ばなかった。しかしこういう人たちが高祖を一生懸命に助けて漢という大帝国を作ったのであった。このようにすぐれた人物たちを上手に使いこなすリーダーのことを、韓信は「将二将タル」人物と言ったのである。
ではこういうリーダーシップはどのようにしたら身につくのであるか。韓信は「それは天が与えてくれるもので、人の力では何ともできないものです」と言っている。
天授にして人力でないリーダーシップとは、今の言葉で言えばカリスマである。この単語は元来ギリシャ語で「神が与えてくれた恩寵」という意味であった。
この言葉をミュンヘン大学教授であったマックス・ウェーバーは遺著『経済と社会』(1922)の中で、「リーダーシップや権威を持つ恩寵、あるいは力量」という意味で初めて使った。ここから「忠誠心や熱狂的感激を起こさせる能力」という意味で広く用いられるようになった。つまりカリスマとは有能な部下を感激させて使いこなす天授の能力である。
西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視などの維新の大人物をはじめ、大山巌、東郷平八郎、乃木希典などなどの軍人や、一般の兵士や国民全部を奮起させる「ある何物か」を明治天皇は備えておられたと思う。
明治天皇の父帝である孝明天皇も極めて秀れたお方であったことが知られている。しかし孝明維新ではなく、明治維新が起こったのである。
それは「時の運」というものもあるに違いない。黒船来航の前にお生まれになっていたら、明治天皇にいかにカリスマがおありになっても、明治維新は起こらなかったに違いない。「時機が熟した時」に生まれ合わせるのもカリスマの一特徴であろう。
カリスマの原義はあくまでも「天授の恩寵」であって、丁度よい時機というのも天授のものであって、人力ではどうすることもできないのである。
たとえば1867年(慶応3年)に孝明天皇が急になくなられて、十五歳という年少の天皇として明治天皇が即位なさらなかったら、徳川幕府をなくすことはできなかったであろう。この年の12月9日の夜に小御所会議があって、山内容堂などの唱える「徳川慶喜を加えての新政府」という意見にみんなが賛成しそうになった。
その時、山内が調子に乗りすぎで「この会議に徳川慶喜を加えていないのは悪質な陰謀であり、天皇がお若いのをいいことにして権力を盗もうとしている」という主旨のことを言ってしまったのだ。
この「天皇が若いのをいいことにして」という発言を岩倉にとがめられて、山内はあやまってしまう。ここから一挙に話は幕府を武力で討伐することに流れて明治維新になるのだ。
明治天皇が丁度そのときにまだ少年であったこと、また周囲のものに熱烈な忠誠心を起こさせる性質をお持ちになっていたこと・・・これが明治維新の成功、つまり近代日本の誕生、ひいては白人絶対優越の世界的アパルトヘイト崩壊への出発になるのである。
つまり明治天皇のリーダーとしての偉さは、マックス・ウェーバーのカリスマという概念、あるいは韓信の言う「将二将タル天授の素質」という考え方以外では説明のしようがないのである。
渡部昇一
〈第9人目 「明治天皇」参考図書〉
「明治天皇」上・下
杉森久英著
学陽書房刊
各・本体660円