お金にはパワーがある。だから時に強烈なメッセージを子どもに伝えてしまうのだが、伝えた当人にはとんとその自覚がないことが多い。例えば子どもが渡された小遣いを無計画に遣ってしまい、「足りないからもう友達と一緒にサッカーの試合が見に行けない!出して!」と訴える。「ああ、可哀想」と小遣いを補てんしてしまったら果たしてそれはどんなメッセージを伝えることになるだろう。
「何か困ったことがあれば親を頼ればいいんだよ」「自己責任はとらなくていいんだよ」といっている様なものである。「一回位は大目にみてやってもいいだろう」が、二回、三回になり、成人した後も小遣いの補填をしてやる羽目になりがちだ。結婚して自分の所帯を構えてもすねかじり癖は抜けず、それを見て育つ孫もまたスネカジリ族となる。かくしてスネカジリ族が蔓延してしまう。
「うちでは早い時期から金銭教育をしています。」という人も現れてきた。中には熱心さのあまり「小遣いはこう使うのよ。無駄遣いはダメ!ああマンガなんか買ってダメじゃない。貯金しなさい!!」と熱心に指導するのは如何なものか?「あなたはダメ人間だから私に任せなさい!」というメッセージを送ってしまっているのではないだろうか。 任せると自己責任はセットなのである。子どもにともかく一度は任せ、小遣い内でやりくりを工夫させてみる。工夫をすることで知恵や生活力がついてくるのである。失敗したら一緒に嘆いて、しかし「自己責任」はしっかり取らせる。
榊原節子