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逆転の発想(34) 味方にするなら権威より民心(北条早雲)

指導者たる者かくあるべし

 出自不明の名君
 15世紀後半、彗星のごとく現れて関東を手中にした北条早雲はその出自が明らかではない不思議な人物だ。当時の戦国大名たちは、今川氏にしても武田、上杉にしても室町幕府の権力構図に組み込まれた守護の家系を誇っていたが、早雲にはそれもない。
 
 息子の代から北条姓を名乗るが、鎌倉幕府の執権であった北条氏とは無縁だ。入道して早雲を名とするまでは伊勢新九郎といった。京都の人とも、伊勢あるいは備中出身ともいう。その素浪人が西から流れてきて今川氏に仕官する。家柄もなんらの権威もないことを自覚する早雲が心がけたのは領民の心をつかむことだった。
 
 初めて城主となった駿河の興国寺城でも伊豆の韮山(にらやま)、相模の小田原でも、弱体化する室町幕府末期の混乱で右往左往する領民たちは、彼を名君として慕い、命を投げ出して国を守った。しかるべくしてそうなったのだ。であればこそ名君なのだ。
 
 領民の心をつかむ
 興国寺城主となった早雲は、まず疲弊した民情を視察した上で、税を軽減し、蓄えてあった金銭を放出し低利子で貸し与えた。ここまでなら他にも実施するリーダーたちはいた。しかしその先が早雲の逆転の発想である。
 
 この時代、各地の農民たちは高額の租税に苦しめられ、軍役で人手を取られるのを嫌い、農地を捨てて山へ逃げていた。
 
 彼は、毎月1日と15日に農民たちを城に呼んで会う。たびたび精勤する者には貸し付けた金の返済を免除した。そのことにより農民たちは村に戻る。収穫量は上がり年貢の軽減措置分、貸付の徳政免除分はたやすく回収され、お釣りが出た。軍事訓練にも領民たちは進んで参加するようになる。国防力は上がる。
 
 表面上の財政収支の均衡ばかり気にして、コロナ禍で国民が塗炭の苦しみにあえいでいるのを知りながら、即効性がある消費税の軽減措置をしぶる“世にも優秀なる”財務官僚たち、その官僚に引きずられて無策な政治家たちよ。早雲の爪の垢でも煎じて飲んでみればいい。
 
 野望成就の前に民情を正しくつかむ
 関東は室町幕府の管領(かんれい)である上杉氏が治めていたが、上杉家の分裂で戦乱が続き荒廃していた。早雲は、あるとき側近に夢を見たと告げた。
 
「二本の杉がある。根本を一匹のネズミがかじっている。ネズミは大きな虎となった。二本杉(上杉家)はやがて倒れるであろう」
 
 早雲は夢になぞらえて、〈自分がその虎となるぞ〉と分かりやすく宣言したのだ。野望は隠さない。しかし夢実現に向けた行動は慎重である。
 
 まず隣国の伊豆に攻め入る前に修善寺温泉にお忍びで向かい、湯に浸かりながら農民たちの不満を聞く。領主の足利氏の悪政の数々を心に刻む。それと逆をやればいい。
 
 韮山(にらやま)にある足利の居城を攻め落としたが、その猛攻を見て、伊豆の領民たちは山に逃げた。そこで早雲は厳しい御触れを出した。
 
「空き家に入って物をとるな」「銭になるものをとるな」「住居を捨てて立ち去ってはならない」。パニックによる暴動の予防措置だ。当然、輩下の軍勢にも農民への乱暴狼藉を厳しく禁じた。農民たちは、今度の殿様は、これまでと違うと安心した。
 
 伊豆に入ってみると、村々に疫病が流行していた。10人のうち8、9人が死亡したという。コロナウイルス同様の強力な感染症の流行だったと歴史家は見ている。早雲は医者を動員して薬を与え、兵士500人を割いて看病にあたらせた。伊豆の人々は早雲ファンになってしまう。
 
 やがて早雲は、箱根を越えて小田原城を攻め落とし、関東から管領上杉の勢力を駆逐する。箱根越えでは、牛の角に松明をくくりつけて突入させる奇策ばかりが講談では強調される。だが、ここまで見てきたように、なんらのバックボーンもなかった早雲が関東に覇をとなえるに至った最大の機略は、〈民心をつかんでこそのリーダーである〉という信念だったのだ。
 
 ただただ将軍家の権威をつかうばかりで民を顧みない天下取りとは一線を画している。コロナに有効な対策を示せないのに、首相の健康問題で浮き足立つ、あまりにも軽い現在の政治家たちへの教訓である。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
※参考文献
『日本の歴史11 戦国大名』杉山博著  中公文庫
『戦国武将の手紙を読む』小和田哲男著 中公新書
『名将言行録』岡谷繁実著 北小路健、中澤惠子訳  講談社学術文庫

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