皆さん、こんにちは。月日の経つのははやいものです、今回が(私のコラムの)今年最終号となりました。
そこで、「儲かるメーカー改善の急所101項」の具体的実例を数回にわたって連載してまいりましたが、今回はそれをお休みして、今年の振り返りと来年の展望についてお話ししたいと思います。
結論から言うと、2020年の東京オリンピックまでの7年間を、どう使うべきかをよくよく考えていただきたいと申し上げたいのです。
9月7日、2020年のオリンピックの東京開催決定の日のことから、話を始めたいと思います。
私は前日までの報道で、スペインが最有力で、東京はまず無理と言っていたので、全く期待しないで早々と寝てしまいました。しかし、朝起きてテレビをつけると、どの局でもあの “Tokyo, Tokyo, Tokyo” のニュースをやっていたのでとても驚きました。
そして、「東京オリンピック開催決定!」の事実を知ったその瞬間に、私自身がすっかり忘れていた50年前の「ある出来事」を、自分でもびっくりするような鮮明さでありありと思い出しました。
それは1964年、私が中学二年生の時のことでした。私が通っていた中学(東京都杉並区立東田中学校)から東京オリンピックの聖火ランナーが選ばれ、リレー当日は全校生徒が仲間の晴れ姿を見るために、学校近くの青梅街道の沿道に陣取っていたのです。
そして待っていると、はるか向こうに鮮やかな白い煙が見え、聖火を掲げた一年先輩の花田満さん(故 大関 貴乃花関)を先頭にクラスメートたちが私たちの前を颯爽と走り抜けました。
そしてその時の彼らの表情や、白地に日の丸と赤のラインが入ったランニングユニフォーム姿が、まるで写真のアルバムを見ているかのような感じで脳裏に映されたのです。
何を言いたいのかというと、62歳の私が7年後の東京オリンピックに再び心を躍らせているのです。若い方はもっと燃えているのではないでしょうか。
例えばオリンピック出場を夢見るたくさんの若い方々の周りで、彼らを応援する家族や友人、企業の方々も燃えるでしょう。すなわち、日本中の人が東京オリンピックまでの7年間、ワクワクした心を持ち続けるのだと思っているのです。
そうだとすると、きっとその間の景気は、これまでよりずっと良くなるだろうという気がします。景気は、みんなが元気になれば自然に良くなるものですからね。
そこで、景気がどんどん良くなるという前提で、これからの7年間をどう使うべきかを考えています。
私の考えはこれからの7年間を使って、それから先の全く違うレベルの新しいモノづくりを完成していきたいというものです。もちろん日本を取り巻く環境は、オリンピックが東京に来ることによって変わるわけではありません。
少子高齢化に伴う労働人口の減少やマーケットの縮小は続きます。あるいは、先進国と後進国の技術的な格差は縮まります。
これらの変化に対応する新しい技術や管理を、この7年間のいい調子の時代に達成したいと思います。モノが売れずに低迷している時に、将来への挑戦をするのは精神的にかなりキツいと思います。
しかし、仕事が確保されている時ならやる気が出るのは間違いないでしょう。ところが実際には、「忙しくてそれどころの騒ぎではない」となってしまうことも考えられます。だからこそ、今のうちにその7年間をどう過ごすかの決心をすることが、必要だと思います。
ここのところ、日本のモノづくりは元気がないと言われて来ました。私もそれは認めざるを得ないと思う時が多かったです。しかし、いつまでもそのような状態でいていいはずはありません。
マーケットが小さくなっていくというのなら、これまでにない新しい商品を開発して、マーケットを作るのもいいでしょう。あるいは、Q・C・D を磨いて世界でダントツのレベルになれば、マーケットは自ずから広がるでしょう。
お正月の休暇を使って、今年を振り返り来年以降のスパイラルアップの仕事の進め方をじっくり考えようではありませんか。
今年も大変にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。
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