いかに人間の「私欲」が国を滅ぼし、人を破滅させることになるか。
「十八史略」には、人間、特にトップ層の人たちが「酒」「美女」「富」など欲望の対象とどのように関わってきたか、失敗に至る関わり方とはどのようなものかといったことについて、数多くの事例が描かれています。私たち現代に生きる者にとっても参考になる話がたくさんあるのです。
では、「私欲」ではない、より公的な欲望を抱いて積極的に国を発展させるような政治をするリーダーが尊ばれているかというと、一概にそうは言えません。古代中国人が理想としたのは、
・あまり目立たない、空気のようなリーダー
でした。
社会が権力と無縁であった頃の話をひも解いてみましょう。
儒家において理想の聖人とされる帝堯(ぎょう)は、仁徳は天のようにあまねく広がり、知恵は神のようにすぐれ、近くによると太陽のように温かく、遠くから望むと雨雲のように人々を潤す存在でした。
平陽(へいよう)の地に都を置いていましたが、その宮殿は茅(かや)ぶきで軒先も切りそろえておらず、土の階段はわずか3段という質素さだったそうです。
帝堯は、天下を治めること50年に及びましたが、天下が治まっているのか、いないのか、万民が自分を天子に戴(いただ)くことを願っているのか、いないのか分からず、不安に思っていました。側近に尋ねてみても分からず、民間の者に尋ねてみても分かりません。それで仕方なく、しのびの服装でこっそりと繁華な大通りに出かけてみたのです。すると、子どもたちの歌声が聞こえてきました。
「みなの暮らしが成り立つは
堯さまの徳あってこそ
知らず知らずに導かれ
堯さまの道、歩みます」
また、一人の老人が口に食物を含みながら腹つづみをうち、木製で履物の形をした遊具を打って調子をとりつつ歌っていました。
「日が出りゃ働き、暮れれば休む
井戸を穿(うが)って水を飲み
田を耕して米を食う
天子の力、わしらにゃ無縁」
帝堯が街に出てみると、民は極めて平和な日々を送っていました。それは「知らず知らず」のうちにそのような生活が出来ているのであり、民は帝の存在や、権力によって支配されていることなどを感じていなかったのです。
もちろん、このような暮らしが送れるのは堯の力が偉大だからです。これこそ、古代中国で理想とされた政治でした。帝堯自身の暮らしも実に質素で、おそらく衣食住すべての面で、ほとんど民と変わらなかったのではないかと思われます。
上に立つ者がこのようであれば、民も十分に満足のいく生活ができ、権力を得たいなどと欲望を膨らませる者も出にくくなるのです。つまり、すでに権力を握っている者が、それを行使して自分の巨大な欲望を満たそうとさえしなければ、皆、権力欲にかられることもないのです。
企業においては、
・社長が無欲で、顧客や会社のための尽くす人
であれば、社員は「鼓腹撃壌」の民のように、顧客の利益を図るべく真面目にコツコツと仕事をするので、自然と顧客第一主義が実践される企業となり、永遠に存続・発展することが可能となるでしょう。
社長が目立たないのに会社は高い評価を得ている、というのが理想です。