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人間学・古典

第8回 「四面楚歌」項羽の失敗

経営に活かす“十八史略”

「私欲」を追求する者より、「無欲」の者の方が人に好かれるし、最終的に勝ち残る、というのが「十八史略」の歴史観といってよいでしょう。

「無欲」のリーダーは、野心の炎でギラギラと燃えているということもないし、自分から何か特別なことをやり出すこともなく、ひたすら民の幸福を願っているといった感じの人になりますから目立ちません。

逆に、自分で世界を支配してやろうというような目標を掲げ、人を集めて一旗あげるような人は目立ちます。

「十八史略」中にはそのような人物がたくさん登場しますが、項羽(こうう)はその代表格といってよいでしょう。

秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の死後、二世皇帝の胡亥(こがい)の代となり、世の中は大きく乱れるようになりました。

そんな中、楚(そ)の将軍の子であった項梁(こうりょう)は、甥(おい)の項羽と共に挙兵します。亡くなった楚の懐(かい)王の孫を王位につけ同様に「懐王」としますが、これによって人心を得ようとしたのです。

その項梁が戦死した後、懐王は秦に攻められる趙(ちょう)を救うべく、宋義(そうぎ)を上将、項羽を次将として軍を編成し、出撃させます。途中、宋義の勝手なふるまいに怒った項羽はこれを斬り殺し、兵を奪い取って、秦の兵を大いに打ち破りました。そして敵の将軍らを捕虜としたり、降参させたりして、項羽は諸侯を率いる上将軍となりました。

自分の上司を殺して軍を奪い、敵を下して出世した項羽。下にいる者たちはこの将軍に恐怖を感じたことでしょう。

懐王は諸侯に、

  「最初に関中(かんちゅう)の地に入って秦を平定した者を、関中の王とする」

と約束していました。関中攻略の命は劉邦(りゅうほう)に下ったものの、秦が叔父の項梁を殺したのを怨んでいた項羽は劉邦と共に関中に入ることを望みます。

ところが、懐王のもとにいる老将たちは、口をそろえて反対しました。まだ項羽が項梁の指揮下にあった頃、秦軍の城を攻略していた際、さんざんにてこずらされた項羽は、城を陥落させた後、腹いせに敵兵をひとり残らず穴埋めにしたことがあったのです。項羽の粗暴な行為を覚えていた長老たちは、

「項羽の人柄は、生まれつき粗暴で乱暴である。それに対して劉邦は寛大で人に長たる人物である。劉邦の方が関中の人たちの心をつかめるだろう」

と考えたのです。項羽よりも劉邦の方がはるかに人心を掌握できる将だと評価されていたということです。

 この後、劉邦を追い出して関中を平定した項羽は、あくまで「劉邦を関中の王にせよ」と言う懐王に激怒。懐王に形の上だけ「義帝(ぎてい)」の称号を送って江南(こうなん)の地に移し、郴(ちん)に都を置かせました。

 そうして天下を分割し、諸将を王に封(ほう)じ、自らは西楚(せいそ)の覇王となったのです。その後、結局、項羽は懐王を殺してしまいました。

何のために懐王を立てたのであったか? 人心掌握のためです。ところが、項羽はその王を殺してしまったのです。逆に劉邦はこの件を利用しました。

  「項羽は天下が一致して擁立した義帝を追放し、殺した逆賊であり、我々は悪者を討伐する正義の軍だ」

と宣言したのです。

この檄(げき)に応じた5諸侯の兵56万人を率い、楚を伐(う)ちました。項羽は斉に出撃中で留守だったため、簡単に楚の首都彭城(ほうじょう)を陥れます。この後、項羽の逆襲を受け、両軍は死闘を繰り広げますが、最後に勝ったのは劉邦でした。

項羽は、漢軍に押し込まれて垓下(がいか)の地まで退却し、さらに韓信(かんしん)らに激しく攻められて城壁のなかに立てこもります。

ある夜、漢軍は城の四方で、項羽の出身地である楚(そ)国の歌を歌いました。項羽にとって「四面楚歌」です。これを聞いた項羽は驚いて言いました。

  「これはもうダメだ。漢はすでに楚の地を手に入れたらしい。何と楚人(そひと)の多いことであろうか」

 項羽は立ち上がり、帳(とばり)の中で酒を飲み始めました。愛する虞美人(ぐびじん)に命じて舞わせ、項羽自身も悲しげに歌い、身の不運を嘆きます。涙が幾筋も頬を流れ落ちました。その時の歌は、

  「わが力は山をも引き抜き

   わが気迫は天下を覆い尽くすが

  今は時(とき)利(り)あらず

  愛馬、※騅(すい)も進まず   ※項羽が常に乗っていた駿馬(しゅんめ)

  あぁ、愛しい虞よ、愛しい虞よ

  お前をどうしたらよいのだろう」

 

左右の者は皆泣き、顔を上げる者は一人もいなかったと言います。項羽はこの後も漢軍に追われ、最後は自分で首をかき切って死にました。

 

   ・自分の野望を実現するために他人を捨てる者は、結局、他人に捨てられる

 

のです。項羽は前回述べた「鼓腹撃壌」の真逆をいった結果、悲惨な最期となりました。

 
 
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