皆さんもご存知の通り、イチロー選手が日米合わせての4000本安打という偉業を達成しました。
この数字がいかにすごいことか、トップに立った人間がその場所を維持し続けることがいかにすごいことか、金銭的にも一生働かなくてもよい人間が年を重ね更にがんばり続けることがいかにすごいことか?これらのことはここで書き切ることができないほど大きなテーマなのですが、今回はこれら全てのことをふまえた上でイチロー選手を象徴するような話をご紹介しましょう。
それは少し前、元ヤンキースの松井秀喜選手の引退セレモニーが華々しく行われた時のことでした。ヤンキースも松井秀喜に華を持たせるべく一日契約という粋なはからいまでして大々的に引退のステージを用意しました。この様子は日本のメディアにも大きく取り上げられ、当然のごとく元チームメイト達は松井選手に労いの言葉をかけるべくセレモニーに出席しました。
このようは華々しいステージの裏でショッキングな話がでました。
何と、そこには最も松井選手を祝福すると思われていた現役ヤンキースのイチロー選手の姿がなかったのです。イチロー選手はセレモニーへの出席を拒否したのです。
この事は松井秀喜元選手が主役なので大きくは取り上げられませんでしたが、奇跡の2ショットを見たいと思っていたファンたちはイチロー選手の不参加にガッカリを通り越し、ネット上でイチロー選手は人格を否定されるような批判を数多く受けました。マスコミでさえイチロー選手の器の小ささを批判する記事がありましたが、イチロー選手はそれらに対し反論も釈明もすることはありませんでした。
この様な式典に、なぜイチロー選手は出なかったのでしょうか?ネット上に書かれているように松井秀喜が嫌いなのでしょうか?
いいえ、それは断じて違います。そんな小さなことで公の場で不参加をする理由はありません。
真の理由とは式典の時間がルーティーン(準備)にかかっていたからなのです。
本当にこれだけのことなのです。これだけのことというかイチロー選手に言わせれば、これ以上の理由はないでしょう。
彼にとってプロでいる以上最高の結果を残す為に一切の妥協を許さない姿勢を持つことが当然なのです。“少しぐらいはいいじゃないか?“という声が聞こえてきそうですが、著名なプロほど式典や行事、そして色々なお誘いは山ほどあるのは安易に想像できると思います。
しかし、1つ妥協したら怒涛のように崩れていくのがわかっているから自分のルーティーンはどんなことがあっても崩さない、これがアメリカという色々な人種、文化、習慣を持った世界の中で自分を輝かせられる方法だと理解しているのでしょう。イチロー選手が毎日、何年間もカレーを食べた話は有名ですが、自分の目指すもののためにプラスになることはする、マイナスになることはしない、というシンプルでとても難しいことをやり続けることができた男だからこそ4000安打という途方もない記録を達成できたのでしょう。
我々も疲れている時などは“ちょっとぐらい休もう”“あとで、やればいいから”など色々と理由をつけて後回しにしたくなる誘惑があるはずです。しかし“少し”した妥協は、その1回で絶対に終わることはありません。
その妥協は少しずつ大きくなり、最初のうちは破る感じていたはずの罪悪感さえ、やがて慣れてしまい、いつの間にか習慣になってしまうのです。
偉大な結果の裏には必ず偉大なルーティーン(準備)があるのです。