このお店、どこにあるかというと、広島県の呉です。JR呉駅から歩いて2分ほどで着く駅前食堂。その名を「森田食堂」といいます。1913(大正2)年の創業だと聞きました。つまり、111年の歴史があるお店なのですね。
開店は朝8時30分です。ずいぶんと早い。暖簾をくぐると、店内の一角にガラス張りの冷蔵ケースがあって、200円台から600円台のお煮しめや煮魚、それに刺身などがずらりと並んでいます。来店客はここから好きに取って、あとで勘定してもらう仕組みですが、それ以外にも壁などにたくさんのメニューが張ってあります。麺類、丼物…目移りして迷ってしまいます。
8時30分の開店と同時に、何人ものお客さんが店に吸い込まれてきます。なかには、なんの躊躇もなくビールを頼む人もいる。私も思わず注文しました。
このお店の名物らしいのですが、瓶ビールを頼むと、女将さんがそれはもう聞き惚れるような音を立てて、栓を抜いてくれます。「しゅぽっ」という高らかな音です。あとで女将さんに尋ねたら、「ずいぶんと前に、栓抜きの柄のところを曲げて、いい音色が出るようにしたんですよ」と教えてくれました。
私は「朝飲みできるお店が根づいている町は。文化が深い」という仮説を立てています。それだけ、多様性を認める懐の深さがあるという話ですからね。
ここ呉は、古くより造船業で栄えてきた地です。現在よりも盛んだったころには「朝か夜かわからないほど、夜勤明けのお客さんが朝飲みしていたんです」と女将さんはいいます。ああ、それが今も、森田食堂での朝飲み文化として息づいているのですね。
この「森田食堂」、私自身が探りあてたわけではなくて、少し前に呉を訪れた折に、仕事相手が「呉に来たら森田食堂に行かないと」と告げてくれたのが、来訪のきっかけとなりました。
この仕事仲間が話すには、朝からお酒をたしなむお客さんが多く、また、定番の一品もあるらしい。それが上の画像の「湯豆腐」です。値段は300円。
もちろん注文しました。丼に大ぶりの豆腐、そこに小ネギ、鰹節、とろろ昆布、一切れのユズ、そしてたっぷりのダシ。要するに、うどんの代わりに豆腐を丼に収めた、そんな献立です。これがもうお酒を誘います。しかも、とても安いし…。
ほろ酔い加減で勘定をお願いすると、女将さんは年季の入った木製のそろばんで計算してくれます。店を発つ場面にまで、深い味わいのある一軒でした。
こうした存在こそが、インバウンドに限らず、人を地域に振り向かせる大きな要素となるのではないか、と、東京に帰る飛行機のなかで私は考えました。「森田食堂」にはインバウンドに対応する英語メニューも見当たりませんでしたし、女将さんが語学に堪能だとは思えませんが(もしかすると英語を学んでおられるかもしれませんけれど…)、まさにそこにあり続けるものだからこそ、おのずと魅力が漂い、足を延ばしてみたくなるのではないでしょうか。私なら、インバウンドの知人、あるいは他県で暮らす知人がいて、広島近辺を巡りたいという場合には、ここに連れていこうと判断するでしょうね。
旅する人を振り向かせる製品やサービスを開発するうえで、「森田食堂」から得られるヒントは忘れてはならないものだと、私は思います。
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