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- 高橋一喜の『これぞ!"本物の温泉"』
- 第54回 二股らぢうむ温泉(北海道) 温泉がつくる芸術「湯の花」の魅力
■「湯の花」は不潔!?
うわっ、汚いなあ。アカが浮いているぞ!――ある温泉の湯船に浸かっていたら、観光客と思われる中年男性が大きな声をあげた。たしかに、湯船の中には赤茶色の浮遊物がたくさん舞っていた。アカに見えなくもない。
この浮遊物の正体は、湯の花。私が「これはアカではなくて、湯の花というものですよ」と言うと、男性は「なんだ、そうか」と納得してくれた。冗談みたいな話だが、実は単なる笑い話ではすまない事態も起きている。
入浴客から「湯の花が汚いから、取り除いてくれ」という要望が相次いだある入浴施設では、それまでかけ流しにしていたにもかかわらず、循環濾過方式に変えた。そのせいで濁り湯だった湯が、無色透明になってしまったとか。これでは、温泉の個性が失われてしまい、効能も期待できない。
最近では、循環濾過方式のキレイな温泉施設が増えているので、「無色透明でキレイなのがいい温泉」と思い込んでいる人も少なくないという。
■温泉が「本物」である証拠
そもそも「湯の花」というのは、温泉の成分が析出・沈殿したもの。湯の中に白色や茶色、オレンジ色などの糸状の物体がふわふわと漂っているのを見たことがあるかもしれない。あるいは、湯船の壁面や湯口に、ゴツゴツとしたかたまりが付着しているのに気づいた人もいるかもしれない。それこそが湯の花だ。高温で湧き出した温泉が空気に触れると、温度差による冷却や酸素との反応で、温泉成分が目に見える形になってあらわれるのである。
ある意味、湯の花が見られる温泉は、温泉成分を豊富に含んでいる証拠でもあるので、私のような温泉マニアは湯の花を発見すると、思わず顔がほころんでしまう。なかでも、湯の花の存在感が群を抜いていたのが、北海道の二股らぢうむ温泉。
札幌と函館の間に位置する長万部から、さらに18キロほど山間に入ったところにある二股らぢうむ温泉は、明治時代から湯治宿として親しまれている山奥の一軒宿。宿へと続く道はしだいに細くなり、ひょっこりとキタキツネが姿を見せる。
以前はずいぶんと鄙びた木造の宿であったそうだが、現在の客室は清潔感のある和室で、トイレはウォシュレット、カラオケルーム、スポーツジムまで完備していた。北海道の手つかずの原生林に囲まれた環境とは思えないほど設備は立派だ。
しかし、今も宿泊している人は、なんらかの病を抱えた湯治客が中心。食堂での会話は、「こんな病気で苦しんでいる」「温泉のおかげでこんなによくなった」など病気や健康の話でもちきり。「あなたはどこが悪いんですか?」と聞かれた私は、思わず答えに窮してしまった。
■世界最大級の石灰華ドーム
さて、肝心の湯の花である。同温泉の名物は、北海道の天然記念物にも登録されている石灰華ドーム。ドームは温泉中の石灰分が長時間かけて堆積した巨大な湯の花の岩である。
かつて長さ400メートル、幅200メートル、厚さ25メートルの規模を誇っていた湯の花の台地は、一部が撤去されてしまったが、混浴の露天風呂からは、こんもりと湯の花が堆積したオレンジ色の山を望むことができる。
まるで湯の花のドームの上に旅館がのっかっているかのようだ。芸術美と言っても過言ではない湯の花の迫力に、温泉の神秘を感じずにはいられない。これほどまでに湯の花が存在感を放っている温泉は、他に存在しないだろう。
黄褐色の湯がかけ流しにされる湯船には浮遊物が漂い、浴槽のまわりにも湯の花がびっしりとこびりついている。とろりとした濃厚な湯に包まれながらうっとりしていると、一緒に入浴していたおじいさんが、ポツリとつぶやいた。「この湯に入って以来、他の温泉がただの湯に思えてしまうよ」。私も「うんうん」と無言でうなずいた。