今回は賃金管理研究所の創業者であり、責任等級制賃金制度の開発者として広く知られる故・弥富賢之が講演会等で説いていた賃金制度、特に基本給と定期昇給についての強い思いをそのまま取り上げてみたいと思います。
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会社に勤めている従業員は、誰しも公正に処遇されることを期待しているし、またそれを自分の励みとし、生き甲斐としています。特にこのことは、会社から支給される“賃金”に、端的な反応として現れ、それに対するいろいろな形での“モラール形成”が見られることになります。
自分が貰っている賃金が妥当かどうか、まずは採用初任給が世間水準を満たしているかどうかに始まり、その後の定期昇給が、正しく能力主義の原則に基づいて行われているかどうかということです。
労働者が、能力主義の賃金決定を期待するというのは、きわめて当然のことです。なぜなら、彼らは会社に対して、“仕事をする能力(仕事力)と月曜日の朝8時過ぎから週末の夕方18時ごろまで、人生の大切な時間”の大半を会社に提供しているし、その対価として“賃金”が支給されているからです。
この点で、従業員の「年齢」や「勤続」あるいは「最終学歴や資格身分」などの属人要素によって、基本給を決めるやり方が一部の会社で見られます。しかし担当する仕事の大切さではなく、人物を観て値札を貼るような給料の決め方は、安易だと言われても仕方のない話です。
会社の人事担当実務者のなかには、自社の基本給の中に、年令給(電産型賃金体系ではこれを本人給と呼んでいた)とか、勤続給あるいは役割給、資格給などといった項目を設けて、基本給体系をわかりにくいものにしていたり、複雑にしたり、さらにはそれを“併存型賃金体系”などと、気取った呼称をつけて、得意がったりしている例などを見掛けることがあります。
よりシンプルであるべき基本給を積み木遊びのように分解し、色々な賃金呼称を設けたりするやり方は、賃金理論の立場からはもとより、賃金管理の在りようとしても、誤りであることに気付かなければなりません。
月例賃金の主体となる基本給は可能な限り分かりやすく、運用しやすく、矛盾なく長く使えるものでなければなりません。
労働者は自身の“仕事をする能力(仕事力)”と“大切な時間”を会社に提供しているのです。少なくとも会社の定める賃金体系のなかの基本給は “その仕事と所定労働時間に対応して決定”できているだけでなく、その運用において、仕事の難易度と責任の重さ、そして業務遂行を根拠とする能力主義が貫かれていなければならないのです。