人にはだれしも、長所もあれば短所もある。得手、不得手と言いかえてもいい。
人を使うに際して、短所が気になれば、長所を持つ人材の有用性に気がつかない。かといって、短所に目をつぶって長所を活かしてばかりでは、その短所がとんでもない組織的トラブルを招くことになりかねない。考えどころである。
江戸中期、八代将軍吉宗に人材登用のツボを説いた儒者の荻生徂徠(おぎゅう そらい)は、「人はその長所のみ取らば、すなわち可なり。短所を知るを要せず」という。有名な言葉だ。今もさまざまな組織で人事の要諦として信奉されている。
「果たしてそうか?」と、プロ野球監督として再生工場の異名をとった野村克也は、注文をつけている。
たしかに、指導者としては、短所が目立つ人でもうまく使って戦力に育てる必要に迫られる。
南海、ヤクルト、阪神と戦力の乏しい球団で監督を引き受けてきた野村だけに、「お前はダメ」「お前はクビ」と短所をあげつらって放り出していたのでは戦えない。他球団から「ダメ」の烙印を押されたり、芽が出ないままにくすぶっている選手の長所を見抜いていかに育てるかに腐心した。それが「野村再生工場」と呼ばれた理由である。
「しかし」と野村は言う。「だからといって、私が選手たちの短所に寛容で、長所ばかりを見て起用したり、再生させたわけではない」と。
それには選手時代の自身の苦闘があった。テスト生で南海に入団した野村はブルペンキャッチャー要員だった。居残り練習での遠投で弱点の肩の弱さを克服し、長所であった長打力を、大型打線構築を目指す鶴岡監督に認められ、一軍レギュラーに定着してゆく。
そんな野村にもさらに根本的な弱点があった。カーブがまるで打てなかったのだ。対戦する投手はその弱点を攻める。「すっかりノイローゼになった」と後に告白している。
来る日も来る日も相手投手のカーブを投げる時のクセ、配給パターンを徹底的に研究し、やがてその弱点を克服する。そして入団12年目に三冠王を獲る球界を代表する四番打者に成長した。
使える人材を見出すには、徂徠がいうように、長所(得手)に着目する必要がある。それは間違いない。その上で、、、
再生工場の信条を問われて野村はいう。
「長所を伸ばすためには短所を鍛えろ、と私は考えている」