リーダーであるためにはと云うより、リーダーとなるととりあえず「権力」が 与えられる。
このことで、部下の昇進・昇格、ボーナスの査定、配置換え・転勤などに影響力を発揮することが可能となる。
逆に、部下からすれば、生殺与奪権が握られていることになり、とりあえず、ついていこう、ついていくフリをしなければ、
ということになる。
アメリカには、「あなたが社長職についた途端に起こることは、あなたの中・高校時代からの知り合い全員が
“自分があなたの ベストフレンド”だったと記憶しているということである」といった警句がある。
これは、人は権力におもね、権力にへつらうということに結びつく。
つまり、権力の座についた人が心すべきなのは、自分のところにもみ手をして擦り寄ってくるひとたちの95%は、
自分の権力や立場につきまとう利益が目当てなのであって、ひとたび権力の座からはずれたらハナもひっかけない、
という冷厳な事実を知るということである。
ここのところを取り違え、他人が自分をチヤホヤするのは、自分の個人的魅力によるのだろうなどと思い込むのは、
おかしくも悲しい幻想であり、錯覚であ る。
では、納得ずくで部下を率いるためには何が必要か。いわゆる「心服」させるための基本条件は何かということになる。
まず、実績(結果)が欠かせない。どういう仕事をしてどういう結果を出してきたか、その人に他のどんな条件が
備わっていたとしても、実績をあげていな い人は、他人を納得させたりリードしたりすることはできない。
そしてもうひとつ、人を納得ずくでリードするための、もっとも基本的で、かつ重要な能力は「権力」である。
権力に頼らず 「心服」させるものは権威なのである。
権威というものは、その気になりさえすれば高めていくことは可能だ。
ゆえに私は、リーダーシップは生まれつきのものではなく、後天的に誰でも身につけ ることができると、
再三強調しているのである。
権力があれば、部下に対して指示や命令を下すことができる。
部下はクビになるのが恐ろしいから、従わざるを得ない。
したがって上の立場についた者は、それなりにリーダーシップを発揮しやすい。
だが、この場合、部下は納得してついてきているわけではない。
強制ないし恐怖で従っているだけである。
心服させたかったら権力に頼ることなかれと自戒 したい。
強制でなく納得ずくで率いてこそ、本当のリーダーなのである。
新 将命