この言葉は、明の王陽明がのべたものだが、人の一生で最も害をもたらすものは傲の一字である。
傲慢であれば、親にも不孝、君には不忠、友には不信を働くことになる。さらには自分に対しても、
ブレーキさえ効かなくなるだろう。
古今東西を問わず破れた者のすべて、といえるほど傲病がその原因をなしているように思われる。
この例は昔に求めることはない。最近の大型小売店の行き詰まりなどにしても、
そのもとをただせば思い上がり、傲慢という不治の病といえるだろう。
私のような、学歴なし、カネなし、地位なしという貧乏育ちともなると僅かな貯金ができても、
最低の肩書きを持っても、天にも昇った気分になる。こうした初期症状のうちに、
反省の鞭を心得ないと不治の病となる。
相当押えたつもりであったが、それでも銀行の本部課長になったときと取締役に就任した時の二回、
傲病の初期症状を覚えた。課長当時のそれは、身分のない人達との交際で拭き去り、取締役のときの
うぬぼれは、堅実、謙虚、倹約、憲法(道を守る)、研磨の五件なる者を自分に言い聞かせて沈静化し、
退職後は百姓道楽に熱を入れ名札から遠ざかっている。
現在、傲慢を振舞う相手といえば野菜と果物だけとなっている。
それも、甘くない、水気が足りないなどの批判を受ける、これでは傲慢病も芽を出す暇もなくなってくる。
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