弱小球団を常勝軍団に蘇らせてきた元プロ野球監督の野村克也は、人材育成の極意を「一に無視、二に称賛、三に非難」だと話す。「私はその3段階を使い分けて、選手に接してきた」。
この三原則は、自らが南海ホークスの選手時代に、時代の評価を三分した三大監督の一人で“親分”と慕われた人情監督の鶴岡一人から身をもって教えられたことだと振り返る。
高校時代には実績もないままテスト生として入団し、来る日も来る日もブルペンキャッチャーとして苦悶していた野村を鶴岡は無視し続ける。監督の無視が、「いまに見ておれ」と闘争心に火をつけた。キャッチング、送球、打撃の技術向上に励む原動力となる。
鶴岡はただ無視していたわけではない。その成長を見極めていたのだ。
三年目の春、前年優勝のご褒美で、ハワイに遠征し当時は珍しい海外キャンプを張った。レギュラー選手たちが物見遊山気分で浮かれている間に、野村はめきめき頭角をあらわす。
帰国会見で鶴岡は言った。「このキャンプは失敗だったが、唯一の収穫は野村に使えるメドがついたことだ」。
野村は、ようやく認められ、シーズンに入り一軍捕手に引き上げられる。それでも鶴岡はベンチで無視し続ける。声もかけない。
そのシーズンのある試合前、大阪球場のベンチへ向かう暗い通路ですれ違ったときに、鶴岡はぼそりと言った。「おう、お前、ようなったな」。
「この先、俺はプロでやっていけるかもしらんな」と、野村は跳び上がるほどうれしかった。普段褒(ほ)められないからこそ自信となった。翌年、野村は30本塁打、94打点を記録する。
その後、15年間、監督と中心打者として南海を引っ張った二人だが、褒(ほ)められたのは後にも先にもこの一回きりだった。
本塁打王となっても三冠王を獲得しても、「今のプレーはなんや」「しっかりせい」と叱られるばかり。
「〈無視〉は、他人からのアドバイスだけでなく、自分自身で考えられる力を持つための期間。〈称賛〉とは、まだ一人前扱いしていないこと。〈非難〉とは、一人前になった選手に、さらに上を目指すように仕向けるために欠点を指摘すること」。
野村がたどり着いた、人遣いの境地である。