ゴマすり、根回し、社内接待、社内派閥……。
こういった言葉に象徴されるように、日本企業は外資系に比べ、ともすれば「なれあい的組織」の面が否定できない。
それがいま、経済状況の変化から社内システムの抜本的改革を迫られ、
人事考課についても、人物評価から達成度評価にシフトしつつある。
何よりも、実績を評価する――。
外資系でビジネスキャリアを積んだ私にとっては、それは当然のことであり、むしろ遅きに失するとの感すらある。
しかしそれをして、
“これからは、業績に応じて給料や昇進が決まるのだから、業績以外のところでは気を遣わなくてもよい”
とする一部の声には、やはり首を傾げなければならない。
ナポレオンは「ゴマすり」を嫌ったそうだが、一方では、“閣下だけには、ゴマすりは通用しませんな”とにじり寄ってきた部下を
可愛がり、重用したというエピソードがあるように、本来、人間というものは、「ほめられる」ことに対して悪い気はしないからだ。
ミエミエのお世辞や追従、ゴマすりは論外としても、使うべき、とまでは言わないが、
他者に対して基本的に誠実さの裏づけのある (心からそう思う)ほめ言葉はあってもいいと考えている。
“六分は耳に響きよいこと、四分はトップに耳の痛いこと”
七世紀の中国を舞台とした帝王学の書『貞観政要』には、上役をほめるための重臣の発言の仕方についてこう述べている。
組織の中でどれほどの地位にあっても、しょせんは人間。
したがって、上役に対しても、忠言(直言)と持ち上げのバランスが うまく均衡していなくてはならない。
そのバランスは、持ち上げ6に対して忠言は4である、と示しているわけだ。
もっとも、持ち上げといっても、いわゆる追従ではない。
追従というのは、いかにも浅薄であり、まともな感覚の持ち主なら、 すぐその性格を見抜くはずだ。
英語でも“Flattery(追従・お世辞・おべっか)”と“Compliment(自分がそう思う、真実味のあるほめ言葉)” と、
同じほめるにしても2つをはっきり区別している。
上役の優れた点を発見し、ほめながら自分の意見(忠告)をも通していく二枚腰の要素と気働きが、
これからのビジネスマンには必要となろう。
繰り返すが、誠実さの裏づけさえあれば、部下でも同僚でも、もちろん上司でも、面と向かってほめることがあってもいい。
ただし、 “うちの愚妻です”“粗品ですが”を基本マナーとしている日本人にとって、
相手を直接ほめることはなかなか難しいかもしれない。
ならば、陰でほめるということになるが、かえって、陰でほめた方が効果は上がるものだ。
“あの課長のこんな点がいいですね。尊敬してますし、安心してついていけます”
たとえば、こんなほめ言葉を第三者から聞かされたとしたら、直接いわれるよりも感激するものだ。
「裏」で陰口をいうのはタブー。本人の耳に入るのは時間の問題だ。
「陰」でほめること。お「かげ」さまで、と感謝につながり、株があがることうけあいである。
新 将命