「根回し」は、とかく日本人だけに特有な習慣のように云われている。
日本人には、集団主義や和を尊重する基本的な精神構造が強いのは事実だが、
だからといって、これが日本人だけの専売特許 だと考えるのは早計だ。
程度こそ違え、心利いたアメリカ人も、アノ手コノ手で根回しをやっているのに何度も遭遇した。
海外勤務の頃、社内で会議の前に、
“ところでこの件、お前はどう思う?”
と訊かれたこともあるし、会社がひけてから近所のバーで一杯飲みながら「根回し」を受けたことも度々だ。
日本にとって、根回しという習慣があることが問題なのではない。
和を尊ぶあまりに、事前の根回しで“一応の解決”を得た結果として、公の場ではオープンに激論を
かわしにくい雰囲気ができあがってしむことこそ、危険信号であり、改善すべき点なのではないかと私は考える。
言い換えれば、社内のオープンな雰囲気が欠如しているために、
それを補う代償として、根回しが強調されているのではないか。
根回しがなければコトが運ばないという雰囲気こそ、危険なのではないだろうか……、と考えるのは気回しが過ぎるのか?
新 将命