未来を描く「優れた戦略」には何が求められるか
優れた戦略とは思わず人に話したくなるような面白いストーリーである。これが競争戦略の分野で仕事にしている筆者の年来の主張である。過去を問題にしている場合であれば、数字には厳然たる事実としての迫力がある。しかし、未来のこととなると、数字はある前提を置いた上での予測に過ぎない。あらゆる戦略は常に未来に関わっている。だからこそ、戦略には数字よりも筋が求められる。
数字を元に行う判断はオペレーションでしかない
会社のさまざまなことごとについての「見える化」が大切だ、という話がこのところ強調されている。オペレーションのレベルの話で、しかもそれが過去に起こったことのファクトについてであれば、見える化は大いに賛成である。体重計がなければ減量は進まない。しかし、話がオペレーションではなく戦略ということになると、見える化が本末転倒になってしまう恐れがある。
ある経営者が新興市場への投資を決断しようとしている。現時点でのオプションとしては中国とインドとロシアがある。時間と資源は限られている。まずどこから攻めるか、優先順位の意思決定をしなければならない。そこでその経営者は戦略企画部門のスタッフを呼んで指示を下す。「それぞれの市場への投資の期待収益率を出してくれ」。
指示を受けた「戦略スタッフ」はリアル・オプションの手法を駆使しつつ、いろいろな前提や仮定をおいて期待収益率をはじき出し、社長に報告する。「期待収益率を計算しましたところ、中国は15%、インドは10%、ロシアは5%でした!」。社長の決断は「そうか、中国にしよう・・・」。
これは話を極端にしているのであるが、実際のところ、戦略的な意思決定をするのに暗黙のうちにこの種のアプローチをとっている経営者は決して少なくない。これでは見える化どころか「見え過ぎ化」である。まったくストーリーになっていない。戦略的意思決定がこんなものであれば、小学生でも経営できる。
異なる「理」のどちらを取るか?
経営者の一義的役割は決断を下すことにある。ただし、である。「良いこと」と「悪いこと」の間の選択であれば、「良いこと」を選べばよい。当たり前だ。これは本当の意味での決断ではない。
「良いこと」と「良いこと」のどちらを取るか――ここに戦略的意思決定の本質がある。何を見ても聞いても「一理ある」という人がいる。で、挙句の果てには「判断が難しい」となる。そもそもこの世の中のありとあらゆる事象で「一理もない」ことなど存在しない。「一理ある」のは当たり前だ。異なる「理」のどちらを取るのか。それが決断である。
決断に正解はない。客観的に「正しい」判断基準などどこにもない。どこかにあるはずの「正解」を探そうとする。それは経営者としての姿勢ではない。基準は自分の中にしかない。戦略は「こうなるだろう」という正解探しや未来予測ではない。未来はだれにも分からない。分からないけれども、われわれとしては「こうしよう」「こうやって稼いでいこう」――戦略とは経営者の意思表明に他ならない。
企業戦略には、魅力的なストーリーを成す「筋」が必要だ
戦略構想とは、「その事業とは何か」「何を実現しようと思っているのか」から始まって、「なぜ競争優位が構築できるのか」「なぜ成功して利益がでるのか」に至る一連のストーリーを描き出すことにほかならない。しかもそれは定義からして将来についてのストーリーである。起こったことを数字で体系的に見える化しても、その延長上には戦略は生まれない。まだ誰も見たことがない、見えないものを見せてくれる。それが優れた戦略ストーリーである。戦略をストーリーとして構想し、それを組織の人々に浸透させ、共有し、実行に向けて突き動かす。これがリーダーの本来の仕事である
「数字で見える化」という思考様式は戦略にとっては役に立たないどころか、ものの考え方がストーリーという本質からどんどん逸脱しかねない。戦略にとって大切なのは、「数字」よりも「筋」、「見える化」よりも「話せる化」である。
この辺に興味のある方は、拙書『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』を読んでいただければ幸いです。